haseyan

①はじまり
1982年ハセヤンは長野県八ヶ岳西麓、八ヶ岳中央農業実践大学校下側の森がカナダケベック州の風景に似ていることから、ここに根を下ろし、畑を耕し窯を作り、家を建て、金がなくても持てる限りの智恵と力を使って生活の基盤を作ろうと決意しました。

ハセヤンベーシックQ&A 包み隠さず…

 ①そうだね、まず、ぼくという人間 から説明した方が、ここのカナディアンファームについても分 かりやすいだろうから、そこから、説明しましょう。

③そこのホープロッジの酋長(川村 嘉彦氏)に魅入られて、北志賀高原竜王スキー場に丸 太小屋作りを手伝ったり、アメリカンスクールのサマーキャン プを開催していたので、外国人の子どもと一緒に暮らすこ とになった。

そんな、高校生活も卒業を迎えようとしていたころ、人 生を掛けて、この道に進んで生きたいことを酋長に打ち明 けたところ、”まだ18歳で、あせることもないだろう、何かまったく 別なことをしてちゃんと社会経験をつんでから弟子入りしに来なさい”と言われ、

⑦ 21歳からはホープロッジに弟子入りして独立できる日に備えて 牛の乳搾り、馬・やぎ・ひつじ・ブタ・ニワトリの世話、 イワナ・マスを飼い、畑を耕し、手作りの小屋を建て、 筋肉もつけ、自信もたっぷりつけて、3年間掛けて、 じっくり、じぶんを作っていったんだ。

⑨ でも、旅の半分くらいは方々で日銭を稼ぐために 大工仕事をしたり、レストランの皿洗いをした、アメリカ、 カナダ、アラスカ、メキシコ、グアテマラなど、車で3万マイル、 バスで2万マイルは走った。

⑪ そこで、体力と気力が かなり減退していた時に出会ったカナダ人と、一緒に 独立したことで、カナディアンファームは始まった。
それ以降、毎年一棟づつ建物を増していき、農と食を 中心に、それに関連する工作物もすべて手作りに こだわるようになったんだ。

以上、順不同にぼくが手がけてきたことを並べてみ
ました。こうしてみると、そのほとんどは、今の時代の
中で、多くの人が「やってみた~い」と思うようなこと
ばっかりだね。ぼくは、じぶんも、まわりの人もたのしい
ことしか、 したくない。このライフスタイルは
結構楽しいですよ!

②ぼくは、京都に生まれて、日吉ヶ丘美術工芸学校西洋 画科に入学したんだ、まもなく16歳で白樺湖のホープロッ ジという牧場に手伝い人としていったのが、こういう生活を 夢見るきっかけだったんだ。

④そんなこんなで、すっかり、こんな生 活にあこがれてしまったんだ。その後、年8回のペースで竜 王や白樺湖のホープロッジに通って牛や馬を飼うことを学 んだり、家造りを学んだりして、高校生活を過ごしていったんだ。

体をきたえながら建築や、アウト ドアの必要な知恵を会得したり。大型の運転免 許を取ったり,ちゃんとお金になる仕事も出来るために、 京都市消防局の救助隊に3年間勤務したんだ。

⑧ その後、アメリカとカナダに修行の旅に出た。目的は アメリカ各地にある教育村やナショナルパークの視察と、 インディアンリザベーション、ヒッピーのコミュニティー等を 見て回ること。

⑩ 毎日2種の色んな、物語が出来るほど、充実した日々を 2年間過ごした。でも、旅の後半のグアテマラ・ ウスマシンタ川 をイカダ下りをした時に飲んでいた、川の水にやられて、 肝炎となって、南米行きを断念して帰国、肝炎の治療に 半年以上かかったけど、その後も、ホープロッジは病み 上がりのぼくを受け入れてくれた。

ハセヤンの履歴書
 ①古材丸太小屋作り 16歳から29棟
 ②天然酵母パン作り 21歳から、今はパン菓子加工業
 ③石窯作り  27歳から石窯内装ボイラーは特許出願中
 ④スモークサーモン29歳からで、冷薫装置も特許出願中
 ⑤レザークラフト   18歳から23まで大ヒットでした
 ⑥脱サラ(脱公務員) 21歳
 ⑦田舎暮らし     16歳・27歳
 ⑧有機農業      21歳からずうっと
 ⑨牧場業        21歳から家畜を食べるために飼う
 ⑩チーズ作り      23歳
 ⑪銀細工        24歳 メキシコのタスコで
 ⑫秘密基地作り    11歳
 ⑬長期体験型キャンプ 16歳の時にこれが今の生活の始まり